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なんか突飛に思ったけど

言語って法の一種とも考えられそうだ。例えば、日本語において、「木」という単語について考えてみると、日本に住み着いた昔の人々が、《木》なるものを見てそれを「木(き)」と呼ぶと取り決めたのだろう。もしくは、慣用的に、徐々にみんながそのような表現を受け入れ、使用するようになった。まさに、言葉という人間としての認知活動・意思疎通上のルールを、社会的に取り決めた、そのルールが、日本語などの各言語なのだろう。なんとも身近なところに、自然発生的な「法」なるものが存在していたのだな。しかも、《木》のことを日本語では「木」と呼ぶことを、子供の頃からある意味強制されて我々は育てられる。ずいぶんそのへん無自覚であったように思った。


でも、「強制」っていう言葉はこの場合いい響きじゃないな…  言葉教える大人は優しく教えてくれただろうし。善意の「教育」。でも本質は…