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自分との関わりにおける法律の在り方って?

最近学んだことで大きかったこと。法律と学校との関係。特に校則。自分が通った学校でもそうだったのだが、学校が生徒の髪型を強制的に規制したり、挨拶を強要したり、帰宅時に寄り道を許可しなかったり、また、こうしたことを守らなかった生徒に懲罰を加えたりするのは、なんか、生徒の人権侵害的な要素ってないのかなって感じていたのだけど、そうした疑問というか、何だか腑に落ちない自分の被害者感覚に対してこの社会(法律あるいは判例)は一応回答のようなものを与えていることを知った。

それによると、基本的に、法律は、教育の多様性のようなものを認めていて、また恐らく私学にはよりその独自性のようなものを尊重しているらしく、そのことが学校社会に自治を認め、「内輪のことは内輪で」やりくりさせるということらしい。この教育の多様性というのは確かにこの社会や文化の多様性の根源であると思うし、そのための「内輪のことは内輪で」という方針にもなんだか妙に納得してしまった。そして、なんだか救われた思いもした。なんだかずっと学校に対して納得のいかない恨みがましい思いがあったのだが、「あぁ、あれはあれで学校という内輪の文化として社会的に一応尊重はされるものだったのだな。そして、それが自分に合わなかった、それ以上でもそれ以下でもなかったんだ。」と思うようになった。なんか意外な視点だった。

校則の違憲性を巡っては、どうもいくつも判例があがっているようで(この言葉遣い変かな)、自分が見た限りでは(まだ法律勉強したてで偉そうなことは何も書けないが)
どれも否定的な判決が出されていた。つまり、違憲ではないということ。微妙な部分もあるらしいのだが、嫌ならその学校に通わなければいいのだし、また、当該生徒の訴えを認めると他の生徒との関係において、公平性や学校秩序維持の観点からより大きな問題に発展しかねない部分があるらしく、無条件に一人の生徒の自由権を優先させられるわけではないということだった。まぁこれも納得した。

このように、法律を学んでいると自分と無関係でない事項にもいろいろ遭遇する。自分の日常の思考にも、そうして学んだことが、少なからず影響してきている気がする。そこで思うのだけど、こうした法律に関する学びを自分にどう影響させるか、これについてまだよくわからないでいる。いわゆるリーガルマインドなるものは、法律が問題になる場面を中心に発揮させるべきで、日常生活にまで持ち込むべきでないのか、あるいは、日常的にそうした考え方を実践していくべきなのか。

こうした疑問を念頭に置きながら、学びを深めていこうと思う。


4月30日 会社の先輩と両国のお祭りで遊ぶ。横綱と2ショットを撮ってもらう。駄菓子屋で大人買いし、スカイツリーを初体験。天丼を食べて帰る。

 

こうやって、知らない街で誰かと遊ぶとなると、気疲れすることがほとんどだった。それがなぜなのか、これまで分からなく。自分のせいではないように思っていた。自分のコントロールの範囲外で、どうしようもないことなのかなと、ストレスは体にも悪いしそういう機会はなるべく避けようとしてきた。

 

それが、ここ最近だんだん、こうした気疲れの原因が、やはり自分の完全主義にあるようであることに気付いてきた。線ではなく点としてのあり方、不完全なあり方、全てを知ろうとするのでなく、何か拾えたらラッキーかなというくらいの態度、つまり、出会うものごとに対して、ビニール袋であらゆることを捕らえようとするのでなく、虫取り網で肝心な虫だけ捕れれば上出来だぐらいの態度で生きることを覚えた。そうしたら、知らない土地に行って面白いものを探したり、駄菓子屋で大量のお菓子のなかでよい選択をしようとするに際しても、目に入ったなかで、良いものにであったと思ったら、その(不完全な認知のなかで甘んじて)他の選択の可能性は排してそのものに決めてしまう、で、それでよいと思って、もう次の瞬間を生きる、そんな、感じの在り方になったら、うんと生きるのが楽になった。恐らく、数学やら何やらを学んでいて、全体をまず把握してそのなかから最適解を選択するとか、そういう発想を日常生活にまで知らずのうちに実践してしまっていたようで、それが、情報過多を引き起こし脳に気疲れさせてしまっていたようだった。

ということで、この日もそんな感じでいたら、特に1日疲れることもなく、普通に楽しい時間を先輩と過ごすことができた。なんだ、そんなことだったのか、と、気付いてしまえば大したことでないように思えてしまうが、もっとこの変化に感謝した方がいいような気もする。

そして、残りのゴールデンウィークは、府中への引越作業&お勉強で、まあ楽しい休暇となっている。前の引越しに比べれば、要領もだいぶましになったように感じた。キザな表現すれば、今回は、エントロピーの関数をその都度神経質にコントロールしようとしなかったので、以前のようなフラクタルのような形でなく、単調増加から単調減少のような自然なかたちででき、作業も滞りなく、ずいぶん順調に進めたと思う。

あとは、このきれいな部屋を自然体で雑に使い、環境適応も雑でいいから自然のなりゆきに任せようと思う。意外な視点。いつも呼吸に注意するということ。そして、前へ前へと生きていく。

読んでいる本。

・「法と社会」 碧海純一

・ 行政書士のテキスト

・ 最強の法律学習ノート術 木山泰嗣著

・ 現代法学入門 

・ プレップ 法学を学ぶ前に

・ 法学入門 早川吉尚著

・ 現代論理学入門 沢田允茂著

・ ビジネス実務マナー検定受験ガイド3級

…など

法学の勉強にハマっている。学んだことを、明日自分なりにまとめよう。

ある実学に興味をもった。

最近、引越しで不動産契約をした際に、やはり自分の社会的立場なるものを痛感させられて、これからのキャリアプランなるものを、もう一度考えた。

電気工事士やらSEやら技術士やら放射線技師やら、さまざま考えた。どれも仕事内容としては面白そう。仕事選びにも様々な基準があるわけだけど、結局、今の仕事のスタイルが気に入っているのを大事にして、「事務職として働きながら専門性を身につけて自分の仕事に付加価値を付けていく」という方向性でいくことにした。自分としても、相当納得。

普段よく勉強しているわけだけど、何をどれだけ勉強したかの客観的な証明がなければ、今後仕事を得ていくなかでかなりもったいなく思った。上にあげたような資格を勉強のついでにとることができたなら、より専門性のある仕事について、収入も上がるだろう。「自分の好きなことを仕事にすること」に恐怖感を感じ、今まで割合意識的にそれを避けてきたのだが、自分の大事にする専門性を社会に生かす責任は、なんだか避けては通れないように思い、そのへんもう諦めもついてきた。

自分が大切だと思う分野。数学・言語学・哲学。

で今回新たに発見した意外な分野が「法律」だった。

実は法律は、上に書いた3分野何れもにすくなからず関連性を持っていた。法律の条文は論理的抽象的なもので、数学などでは論理や集合などの考え方やイメージがアナロジーとして効いてくる。また条文は言語的な実態を持つものであるので、言語学的な分析の対象にもなってくる。

行動規範としての法は、道徳などの倫理学との関連性も深く、そうした哲学分野と相互連関がある。道徳の実体化としての法と、それを現実社会に実践しようとする実学的な要素が、今まで理論的な学問にばかり興味を持ってきた自分には実に新鮮で、それを生かすことの可能性に、なんだか少々、ゾクゾクワクワクを感じている。

今日はもう遅いから、この辺で切り上げる。


求めるべきでなかった。学問も、仕事も、友人も、異性も。

様々なものとの、出会いも、求めるものではなかったのだね。あるがままに、不完全を生き、出会い、別れていく。その繰り返し。

 

避けもせず、ただ前を見つめる。

夕食は、家で、母親の作ったハンバーグとシチュー。

食べ終わって、今日届いた、iPad用のキーボードをいじっていると、父が珍しく、自分の今後のこと、転職・キャリアアップのことについて、どうするのか聞いてきた。確かに、あと2ヶ月足らずで30歳にもなるし、そうしたことも、考えておかねばならなかった。正確に言えば、考えてはいたのだが、ふとしたとき、たまに思案するくらいで、父の提案するように、毎日の余暇の1、2割をそうしたことを考えることに充てる、という発想はなく、意外に盲点だった。

父の話は毎回興味深い。率直に自分の問題点を言葉にしてくれるところ、ありがたき存在 。

とりあえず、つべこべ言わずに、「あれもしてこれもしてから」と準備という「逃げ」に完璧になるのでもなく、実際の行動に出よう。そこで、生涯を通して貫ける仕事につくのだ、と深刻なまでに意気込むのは違う。そうしたものは意識的に求めたとて何にもならない、とだんだん分かってきた 。なんかいいステップアップの案が出たら、行動する 。

適度に頭を使ってある判断を一度したら、あとは後ろを振り返らずにそれを実行すること。失敗しても前に進んでいく、不完全な生。それを実践する勇気。

ああ初っ端からつまらぬこと書いてしまった。

でもそれでいいのだ。つまらぬブログ、期待せぬ生。時々面白ければいいと思う今日この頃。「 学び」 など、胡散臭く息苦しい向上心も最近否定してきているが、その本性は、向上心を否定する向上心。学びを否定する学びという、タチの悪い パラドックス

そして、そんななか、昨日、今日の生き方は、

「ただ今ここの呼吸に意識を向けなさい」

というヴィパッーサナー瞑想の本の記述に行き着いた。これなら、上記のパラドックスも解消するかもしれないと、なんとなく思う。

とりあえず

導入しておく。書きたいと思っていること。

・読んだ本について考えたこと。自分なりの書評。

・日々思ったこと、感じたことの記録

などなど自由にいこう。

誰に対して書いているのかも、実はわからないまま書いている。これってわりかし難しい問いに思える。

作ろうと思った動機。何か自分の考えや感情を外に出す場があったほうがいいな、と思って。創造の場。書くことによって学びたいという向上欲・利己主義が根本にあるかもね。でも、無目的にいきたいな、と、頭では思う。

まぁなんでもいいから始めていこう。