ある実学に興味をもった。

最近、引越しで不動産契約をした際に、やはり自分の社会的立場なるものを痛感させられて、これからのキャリアプランなるものを、もう一度考えた。

電気工事士やらSEやら技術士やら放射線技師やら、さまざま考えた。どれも仕事内容としては面白そう。仕事選びにも様々な基準があるわけだけど、結局、今の仕事のスタイルが気に入っているのを大事にして、「事務職として働きながら専門性を身につけて自分の仕事に付加価値を付けていく」という方向性でいくことにした。自分としても、相当納得。

普段よく勉強しているわけだけど、何をどれだけ勉強したかの客観的な証明がなければ、今後仕事を得ていくなかでかなりもったいなく思った。上にあげたような資格を勉強のついでにとることができたなら、より専門性のある仕事について、収入も上がるだろう。「自分の好きなことを仕事にすること」に恐怖感を感じ、今まで割合意識的にそれを避けてきたのだが、自分の大事にする専門性を社会に生かす責任は、なんだか避けては通れないように思い、そのへんもう諦めもついてきた。

自分が大切だと思う分野。数学・言語学・哲学。

で今回新たに発見した意外な分野が「法律」だった。

実は法律は、上に書いた3分野何れもにすくなからず関連性を持っていた。法律の条文は論理的抽象的なもので、数学などでは論理や集合などの考え方やイメージがアナロジーとして効いてくる。また条文は言語的な実態を持つものであるので、言語学的な分析の対象にもなってくる。

行動規範としての法は、道徳などの倫理学との関連性も深く、そうした哲学分野と相互連関がある。道徳の実体化としての法と、それを現実社会に実践しようとする実学的な要素が、今まで理論的な学問にばかり興味を持ってきた自分には実に新鮮で、それを生かすことの可能性に、なんだか少々、ゾクゾクワクワクを感じている。

今日はもう遅いから、この辺で切り上げる。


夕食は、家で、母親の作ったハンバーグとシチュー。

食べ終わって、今日届いた、iPad用のキーボードをいじっていると、父が珍しく、自分の今後のこと、転職・キャリアアップのことについて、どうするのか聞いてきた。確かに、あと2ヶ月足らずで30歳にもなるし、そうしたことも、考えておかねばならなかった。正確に言えば、考えてはいたのだが、ふとしたとき、たまに思案するくらいで、父の提案するように、毎日の余暇の1、2割をそうしたことを考えることに充てる、という発想はなく、意外に盲点だった。

父の話は毎回興味深い。率直に自分の問題点を言葉にしてくれるところ、ありがたき存在 。

とりあえず、つべこべ言わずに、「あれもしてこれもしてから」と準備という「逃げ」に完璧になるのでもなく、実際の行動に出よう。そこで、生涯を通して貫ける仕事につくのだ、と深刻なまでに意気込むのは違う。そうしたものは意識的に求めたとて何にもならない、とだんだん分かってきた 。なんかいいステップアップの案が出たら、行動する 。

適度に頭を使ってある判断を一度したら、あとは後ろを振り返らずにそれを実行すること。失敗しても前に進んでいく、不完全な生。それを実践する勇気。

ああ初っ端からつまらぬこと書いてしまった。

でもそれでいいのだ。つまらぬブログ、期待せぬ生。時々面白ければいいと思う今日この頃。「 学び」 など、胡散臭く息苦しい向上心も最近否定してきているが、その本性は、向上心を否定する向上心。学びを否定する学びという、タチの悪い パラドックス

そして、そんななか、昨日、今日の生き方は、

「ただ今ここの呼吸に意識を向けなさい」

というヴィパッーサナー瞑想の本の記述に行き着いた。これなら、上記のパラドックスも解消するかもしれないと、なんとなく思う。

とりあえず

導入しておく。書きたいと思っていること。

・読んだ本について考えたこと。自分なりの書評。

・日々思ったこと、感じたことの記録

などなど自由にいこう。

誰に対して書いているのかも、実はわからないまま書いている。これってわりかし難しい問いに思える。

作ろうと思った動機。何か自分の考えや感情を外に出す場があったほうがいいな、と思って。創造の場。書くことによって学びたいという向上欲・利己主義が根本にあるかもね。でも、無目的にいきたいな、と、頭では思う。

まぁなんでもいいから始めていこう。